
Rukaは相談者のリーディングとともに、その方に合ったカウンセリングを必ず併用しています。その理由をお話ししたいと思います。リーディングを希望され、実際にリーディングを受けられるということは、ご自分自身を変えたい、ご自分の周りの環境を整えたいとお考えだからとRukaは思います。「いまのままでは困るのだ」と自覚していらっしゃる方々です。そんな自分の生き方に積極的なアプローチをする方でも、実際にリーディングを受けると、その情報をどう生かしたらいいかわからない、じぶんでもわかっているのだけれど、それを受け入れることができないといったこころの葛藤が生じます。この葛藤は、自分のものの見方の変換を求められるために起こる、いままでの自分を守るためのこころの手段です。ものごとの変化が訪れるときは、誰もが動揺します。Rukaは相談者のいままでの「自分」を見捨てたりしません。いままで培われてきた相談者の今の自分を大事にしながらゆっくり方向転換できる方法をアドバイスします。いつの日か、いまよりもっと自分に満足できる時間を持つこととそのためのスキルを相談者に得てもらうことを目標にRukaはカウンセリングをおこなっています。

自分の身近な人のリーディングはできないと申しましたが、そのひとを通して、その身近な人のまた身近な人のことはリーディングすることができます。たとえば、親戚の友達、友達の恋人のことなどなど。そのくらいの距離がいちばんリーディングしやすいのです。友達の恋人のことは普段の会話から、その人がどういう人かは大体想像がついていますので、その恋人のことを語るのはリーディングとはいいません。その恋人の生育環境や、悩み、とりまく人間関係などがリーディングにあたります。実際のリーディングの内容としては、友達の恋人のお母さんはどんな人で、何を大事に思っているのか。どうしてそれを大事にしているのか。友達にはあまり関係ないようにおもえますが、実は恋人のキーパーソンはお母さんでした。恋人はお父さんを早くに亡くして、お母さんとの2人暮らし。お母さんの影響は両親揃っての家庭より大きいものでした。彼との結婚を考えている友達にとって、この結婚生活のカギを握るのはキーパーソンである彼の母親です。彼の母親についての情報は彼女にとってはとても役に立つものでした。「彼の母親が大事に思っているものを自分も大事にしたい。」その優しい気持ちが、彼女の結婚生活を楽しいものにさせています。
(この事例は、サイトへの掲載について本人の許可を得ています。)

前回の「霊感は必要か2」のコラムを読まれた方、「Rukaは自分のことはリーディングできないの?」と思ったのではないでしょうか?答えは「Yes」です。自分のことはさっぱりリーディングできません。そして、Rukaの親戚や恋人、近しい友人もリーディングすることはできません。
Rukaの知っている同じリーディング能力がある方も同じことを言っておりました。たぶん、これは情報がありすぎて、チャンネル合わせをする感覚が鈍くなるのだと思います。前のコラムでひとは自分の欠けたところを補う能力があるとおはなししました。情報があまりない状態が一番リーディングできるというのは、その欠けているところを補うためではないかと考えられます。それと、自分自身の将来に絶望してしなないように、「知らぬが仏」の情けを神様が下さっているのだとRukaは解釈しています。逆にまったく情報がないのもダメです。よく、相談者の方で、「霊感があるんだから、何も言わなくても当ててよ。」という人がいますが、これは困ります。欠けている部分を見ようとするからこそ発揮される能力なのですから。欠けている部分とは相談者があまり意識していない部分であり、それを相談者の方が意識することで生活がよりよいものに変わっていくための情報だけをお伝えするようにしています。これは、そのひとにとって悪いことは言わないということではありません。悪いことも意識改革できれば、今後の生活に生かせるという場合は、お伝えするようにしています。

霊感とは人のこころを感じることであるとわかったところで、霊感は人にとって必要なものなのかということについてもう一度考えてみたいと思います。「親のこころ子知らず」「ひとの気持ちも知らないで」など非人情的なことをいわれると、やはり人のこころを感じる能力は必要であると思えてきます。でも、これは、「こころは知ってはいるけれど、自分はそうしたいのさ」的な意味合いがとても強いと思われます。ひとのこころを察する能力は持っていてもその能力を使おうとしない、もしくは、見て見ぬふりの状態です。これはこれで一つの能力だとRukaは思います。自分の欲求を守るための能力です。人の気持ちをいつも考えていたら、自分の気持ちのもっていきどころがありません。相手もいつも同じように考えてくれたらハッピーですが、そうでないところが人間関係の難しさです。常にひとのこころが手に取るように見えていたらどうなるでしょうか?犯罪はなくなりますか?みな仲良く暮らせますか?この疑問を考えるときにRukaの頭には「知らぬが仏」の言葉がよぎります。Rukaもある人とお付き合いしていたときに、4年間もの長い間、嘘をつかれていた経験があります。その嘘はとても大きくて重大な嘘でした。その嘘を知った時にRukaは逆上しましたが、あとで思ったのです。嘘をつかれたことは腹立たしいけれど、その嘘のおかげで、わたしはその4年間楽しく暮らすことができたのだと。嘘を許すか許さないかの決断を迫られた時に、いきついたRukaの屁理屈ではありますが、その屁理屈にRukaはとても助けられました。リーディングの結果をお話して、「知らなければよかった」とおっしゃるかたもいらっしゃいます。幸せに暮らすためには、こころを感じる力はほどほどでよいのです。

霊感がひとにとって必要なものかを突き止める前に、霊感とは何を意味するのかを調べてみました。(1)霊的なものを感ずる不思議な気持ち。インスピレーション。(2)神仏の不思議な感応。霊応。ふむふむ。では霊とはなんでしょうか?「霊=たましい」でした。そして、魂とは・・・と解読していったら、「こころ」にいきつきました。「そんな魂胆があったとは・・・」とよく言いますが、「こんたん」という言葉に魂が使われたいると知っていましたか?そもそも霊感とは、「こころを感じる」ことであって、見えるはずもないものが見えるとか、何か悪いことを思い起こすようなことを予言することではないようです。しかし、「こころ」というのは手にとって触れることも見ることもできません。だから、ある意味、ひとにとっては「こころ」は怖いものなのかもしれません。ひとの「こころを感じる」という行為(感覚)は誰もが意識せずに普段の生活でおこなっています。そう考えると、霊感は誰にでもあるものなのです。Rukaのリーディング能力とは、ひとのこころを感じるRukaの感覚アンテナの周波数を相手の周波数に合わせられることなのだと理解してください。

霊感についてRukaの考えていることをお話したいと思います。「あなたの悩みは○○霊が原因です」「霊感があるので何も言わなくともわかります」よく、占いの広告を見るとこんな文章が書かれています。これが本当だったら、すごいなとRukaは思います。そう思うところを見るとやはりRukaはいわゆる霊能者ではないのでしょう。霊感があるとかないとかよく言いますが、そもそも霊感というのは何なのでしょうか?第六感という言葉があります。人は視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を持っています。その五つの感覚以外のもう一つの感覚をさすので、第六感と呼ばれているのかもしれません。強弱はその人によって異なりますが、第六感とは誰でも持っている感覚なのではないかとRukaは思っています。物をを見るときに必要なのは脳の視神経と眼球です。見るためのレンズである眼球があっても、脳で「もの」だと感知できないとひとは物をみることができません。脳の視神経も萎縮して機能していない、レンズとなる眼球もないのに、光に反応する人をRukaは知っています。医学解剖的に感じることのない光を感じられるのは、まだ、解明しつくされていない解剖生理学の課題でもありますが、第六感もその中の一つではないかと思います。しかし、第六感=霊感とは思えません。霊そのものの存在は否定しませんが、第六感と霊感は区別されるべきものだとおもいます。人の体の仕組みは不思議なもので、ある臓器がフルに活用できない場合、2つある臓器ではその健康なほうの一方が、あるいは別の臓器がその代替えとなる機能を補おうとします。一方で人のからだは必要のないものは排除する方向に向かいます。けがをした時、たいていの菌や異物は治る過程のじくじくした滲出液によって洗い流されてしまいますが、どうしても取り除けない場合は、異物を無毒化してしまう仕組みがあります。手をけがして治った後に、その時の砂が皮膚に入ったまま治癒してしまった経験のある方もいるのではないでしょうか?(その砂は体の力で無毒化されています。)どんなときにも、「生きること」に向かって人の体というのはエネルギーを費やしていることを感じます。そんな生きることに向かっていく人の体が、霊感を必要としているかどうかについては疑問があるのです。


