
水の浄化エネルギーを暮らしに生かすアドバイスをお伝えします。
トイレの清浄感や浄化は水が流れることによっておこります。よく、節水のためにあまり水を流さないようにしているご家庭を見かけますが、トイレなどの汚物の出口であるところこそ、勢いのある水の動きが必要なのです。節水はお金の節約や水そのものの資源の節約にはいいですが、Rukaはあまりお勧めしていません。
洗濯などの汚物を洗い流す作業にも水のエネルギーは必要です。洗剤で汚れは落ちますが、浄化は水がするものです。よく浄化された衣類を身にまとっていると、一日中気持ちよく過ごせます。
節水機能の付いた洗濯機や、お風呂の残り湯で洗濯する方法もよく行われている方法ですが、洋服の浄化のためにはお勧めできません。お風呂の残り湯は、からだを浄化するために使われた水です。水は疲れています。さらに、一晩中その疲れて汚れたままよどんでいた水だということに敏感になってください。その水を動かしたところで、その水には新たな何かを浄化できるエネルギーはありません。節約をして、お金がいくらばかりかたまっても、あなた自身が気持よく過ごせなければ意味がないのです。

水のエネルギーについていくつかお話しをしましたが、水のエネルギーはわたしたちにとってどんな役割を果たしてくれるのでしょうか?水のエネルギーの恩恵は「浄化」です。
清潔主義なるものがはやり、人がとても菌やウイルスに敏感になっています。同じ価格で除菌できる製品とできない商品があったら、あなたはどちらを買いますか?
除菌製品は薬品で科学的に菌の数を減らす商品です。少し前までは、病院でも消毒薬や除菌製剤入りの石鹸などが置かれていました。いまではその除菌製剤入りの石鹸は、人体に影響のある科学物質によって手荒れが起こり、その手荒れた傷から感染を起こすリスクが高くなっていることがわかっています。消毒薬は菌の数を減らすために、菌を弱らせ殺すためのものですが、菌も人と同じタンパク質を含む細胞からできています。消毒薬にその細胞を破壊するための化学物質が含まれているということは、同じ細胞をもつ人間の細胞も破壊してしまうことになります。いまでは、ケガをした時に消毒薬を使わない病院が増えてきました。治りかかったまだ弱いわたしたちの大事な細胞を殺してしまい、かえって治りが遅くなることがわかったからです。病気にかからないための予防の一番は、流水での手洗いだということは、医療関係者はよく知っています。
こうやって、水のエネルギーはさまざまなものの浄化に役立っています。

では、そういう場所にいかないと、わたしたちは水のエネルギーに触れることはできないのでしょうか?そういった環境がそばにある人はいいですが、そうでない人もいます。わざわざ、水のエネルギ―を取り込むのに旅行に行かないと取り込めないのでは意味がありません。水には動きがあるからエネルギーがあるといいました。水にエネルギーを与えるには、水を動かせばいいのです。ためしに、ボトルに入れた水を振ってみてください。振ったその直後に飲んだ水は振る前の水と違うのがお分かりになるでしょうか?お風呂に入るときにも、ただ、ゆったりとつかるだけではなく、水を動かしてみてください。一番お風呂の中の水を動かすのは自分自身がお風呂の中に潜ることです。日常生活の中で、Rukaが一番水のエネルギーを得られる時です。
※お風呂に潜っておぼれる可能性がある方はしないでください。

エネルギーの失われた水の中で暮らしているわたしたちは、もう、水のエネルギーを取り込むことはできないのでしょうか?水にエネルギーを与える方法をRukaは知っています。水は動くことができます。動きのある水に接することでわたしたちは水のエネルギーを吸収することができます。滝の流れ・川の流れ・海の波・噴水に接する機会を作ってください。水は止めることなく動いています。この水には大きなエネルギーがあります。穏やかな流れや波には静的エネルギーが、急な流れや激しい波には動的エネルギーがあります。川の濁流を見いると、自分の中の何かがぐらぐらと沸き起こってくるのを感じることができます。これは、動いている水にエネルギーがあるからです。そのエネルギーを感受して動揺するする心の動きなのです。
滝はマイナスイオンで気持ちよくなるものだという人がいますが、Rukaはそうではないと感じています。滝は水が激しく動いているからヒーリング作用があるのです。

水の結晶の本が出版されています。水が結晶を作るときに投げかける言葉によって、結晶のでき方が違うというものです。美しい言葉を投げかけると美しい結晶が、乱暴で乱れた言葉を投げかけると乱れた結晶ができるというお話です。これは波動により結晶のでき方に違いがあるというのですが、この波動は言葉の波動であると考えられます。波動が水に伝わるということは、水にも受け皿となる感受性があるということです。いま、健康ブームで、ひとの体の70%ちかくを占める水の性質に関心が高まっています。水を消毒をするためのカルキを抜いたり、有害物質を除く浄水器がたくさん出回っています。研究所にあるような大がかりな装置がなくとも、自宅でイオンを操作して、水の電解質バランスまで調整できるものもでています。こうしてできた純粋な水をあなたは美味しいと感じますか?「味がしない」というのと、「美味しい」というのとでは意味合いが違います。ときどき、レストランなどで、Rukaはそういった水をもらって飲むことがありますが、美味しいと思ったことはありません。たしかに環境汚染によって含まれた有害な化学物資はないほうがいい。でも、作られた水にはエネルギーを感じないのです。いま、ひとの手がかかわらない水は湧水を除いて、存在しません。作られた水には微生物は存在できません。作られた水を摂取しても体が維持できる人間という生物はある意味、とてつもなく強い存在であるのだと思います。
参考文献:江本 勝 (2001) 水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ サンマーク出版

Rukaは相談者のリーディングとともに、その方に合ったカウンセリングを必ず併用しています。その理由をお話ししたいと思います。リーディングを希望され、実際にリーディングを受けられるということは、ご自分自身を変えたい、ご自分の周りの環境を整えたいとお考えだからとRukaは思います。「いまのままでは困るのだ」と自覚していらっしゃる方々です。そんな自分の生き方に積極的なアプローチをする方でも、実際にリーディングを受けると、その情報をどう生かしたらいいかわからない、じぶんでもわかっているのだけれど、それを受け入れることができないといったこころの葛藤が生じます。この葛藤は、自分のものの見方の変換を求められるために起こる、いままでの自分を守るためのこころの手段です。ものごとの変化が訪れるときは、誰もが動揺します。Rukaは相談者のいままでの「自分」を見捨てたりしません。いままで培われてきた相談者の今の自分を大事にしながらゆっくり方向転換できる方法をアドバイスします。いつの日か、いまよりもっと自分に満足できる時間を持つこととそのためのスキルを相談者に得てもらうことを目標にRukaはカウンセリングをおこなっています。

自分の身近な人のリーディングはできないと申しましたが、そのひとを通して、その身近な人のまた身近な人のことはリーディングすることができます。たとえば、親戚の友達、友達の恋人のことなどなど。そのくらいの距離がいちばんリーディングしやすいのです。友達の恋人のことは普段の会話から、その人がどういう人かは大体想像がついていますので、その恋人のことを語るのはリーディングとはいいません。その恋人の生育環境や、悩み、とりまく人間関係などがリーディングにあたります。実際のリーディングの内容としては、友達の恋人のお母さんはどんな人で、何を大事に思っているのか。どうしてそれを大事にしているのか。友達にはあまり関係ないようにおもえますが、実は恋人のキーパーソンはお母さんでした。恋人はお父さんを早くに亡くして、お母さんとの2人暮らし。お母さんの影響は両親揃っての家庭より大きいものでした。彼との結婚を考えている友達にとって、この結婚生活のカギを握るのはキーパーソンである彼の母親です。彼の母親についての情報は彼女にとってはとても役に立つものでした。「彼の母親が大事に思っているものを自分も大事にしたい。」その優しい気持ちが、彼女の結婚生活を楽しいものにさせています。
(この事例は、サイトへの掲載について本人の許可を得ています。)

前回の「霊感は必要か2」のコラムを読まれた方、「Rukaは自分のことはリーディングできないの?」と思ったのではないでしょうか?答えは「Yes」です。自分のことはさっぱりリーディングできません。そして、Rukaの親戚や恋人、近しい友人もリーディングすることはできません。
Rukaの知っている同じリーディング能力がある方も同じことを言っておりました。たぶん、これは情報がありすぎて、チャンネル合わせをする感覚が鈍くなるのだと思います。前のコラムでひとは自分の欠けたところを補う能力があるとおはなししました。情報があまりない状態が一番リーディングできるというのは、その欠けているところを補うためではないかと考えられます。それと、自分自身の将来に絶望してしなないように、「知らぬが仏」の情けを神様が下さっているのだとRukaは解釈しています。逆にまったく情報がないのもダメです。よく、相談者の方で、「霊感があるんだから、何も言わなくても当ててよ。」という人がいますが、これは困ります。欠けている部分を見ようとするからこそ発揮される能力なのですから。欠けている部分とは相談者があまり意識していない部分であり、それを相談者の方が意識することで生活がよりよいものに変わっていくための情報だけをお伝えするようにしています。これは、そのひとにとって悪いことは言わないということではありません。悪いことも意識改革できれば、今後の生活に生かせるという場合は、お伝えするようにしています。

霊感とは人のこころを感じることであるとわかったところで、霊感は人にとって必要なものなのかということについてもう一度考えてみたいと思います。「親のこころ子知らず」「ひとの気持ちも知らないで」など非人情的なことをいわれると、やはり人のこころを感じる能力は必要であると思えてきます。でも、これは、「こころは知ってはいるけれど、自分はそうしたいのさ」的な意味合いがとても強いと思われます。ひとのこころを察する能力は持っていてもその能力を使おうとしない、もしくは、見て見ぬふりの状態です。これはこれで一つの能力だとRukaは思います。自分の欲求を守るための能力です。人の気持ちをいつも考えていたら、自分の気持ちのもっていきどころがありません。相手もいつも同じように考えてくれたらハッピーですが、そうでないところが人間関係の難しさです。常にひとのこころが手に取るように見えていたらどうなるでしょうか?犯罪はなくなりますか?みな仲良く暮らせますか?この疑問を考えるときにRukaの頭には「知らぬが仏」の言葉がよぎります。Rukaもある人とお付き合いしていたときに、4年間もの長い間、嘘をつかれていた経験があります。その嘘はとても大きくて重大な嘘でした。その嘘を知った時にRukaは逆上しましたが、あとで思ったのです。嘘をつかれたことは腹立たしいけれど、その嘘のおかげで、わたしはその4年間楽しく暮らすことができたのだと。嘘を許すか許さないかの決断を迫られた時に、いきついたRukaの屁理屈ではありますが、その屁理屈にRukaはとても助けられました。リーディングの結果をお話して、「知らなければよかった」とおっしゃるかたもいらっしゃいます。幸せに暮らすためには、こころを感じる力はほどほどでよいのです。

霊感がひとにとって必要なものかを突き止める前に、霊感とは何を意味するのかを調べてみました。(1)霊的なものを感ずる不思議な気持ち。インスピレーション。(2)神仏の不思議な感応。霊応。ふむふむ。では霊とはなんでしょうか?「霊=たましい」でした。そして、魂とは・・・と解読していったら、「こころ」にいきつきました。「そんな魂胆があったとは・・・」とよく言いますが、「こんたん」という言葉に魂が使われたいると知っていましたか?そもそも霊感とは、「こころを感じる」ことであって、見えるはずもないものが見えるとか、何か悪いことを思い起こすようなことを予言することではないようです。しかし、「こころ」というのは手にとって触れることも見ることもできません。だから、ある意味、ひとにとっては「こころ」は怖いものなのかもしれません。ひとの「こころを感じる」という行為(感覚)は誰もが意識せずに普段の生活でおこなっています。そう考えると、霊感は誰にでもあるものなのです。Rukaのリーディング能力とは、ひとのこころを感じるRukaの感覚アンテナの周波数を相手の周波数に合わせられることなのだと理解してください。

霊感についてRukaの考えていることをお話したいと思います。「あなたの悩みは○○霊が原因です」「霊感があるので何も言わなくともわかります」よく、占いの広告を見るとこんな文章が書かれています。これが本当だったら、すごいなとRukaは思います。そう思うところを見るとやはりRukaはいわゆる霊能者ではないのでしょう。霊感があるとかないとかよく言いますが、そもそも霊感というのは何なのでしょうか?第六感という言葉があります。人は視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を持っています。その五つの感覚以外のもう一つの感覚をさすので、第六感と呼ばれているのかもしれません。強弱はその人によって異なりますが、第六感とは誰でも持っている感覚なのではないかとRukaは思っています。物をを見るときに必要なのは脳の視神経と眼球です。見るためのレンズである眼球があっても、脳で「もの」だと感知できないとひとは物をみることができません。脳の視神経も萎縮して機能していない、レンズとなる眼球もないのに、光に反応する人をRukaは知っています。医学解剖的に感じることのない光を感じられるのは、まだ、解明しつくされていない解剖生理学の課題でもありますが、第六感もその中の一つではないかと思います。しかし、第六感=霊感とは思えません。霊そのものの存在は否定しませんが、第六感と霊感は区別されるべきものだとおもいます。人の体の仕組みは不思議なもので、ある臓器がフルに活用できない場合、2つある臓器ではその健康なほうの一方が、あるいは別の臓器がその代替えとなる機能を補おうとします。一方で人のからだは必要のないものは排除する方向に向かいます。けがをした時、たいていの菌や異物は治る過程のじくじくした滲出液によって洗い流されてしまいますが、どうしても取り除けない場合は、異物を無毒化してしまう仕組みがあります。手をけがして治った後に、その時の砂が皮膚に入ったまま治癒してしまった経験のある方もいるのではないでしょうか?(その砂は体の力で無毒化されています。)どんなときにも、「生きること」に向かって人の体というのはエネルギーを費やしていることを感じます。そんな生きることに向かっていく人の体が、霊感を必要としているかどうかについては疑問があるのです。
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あなたは夢を見ますか?Rukaはほとんど毎日夢を見ています。夢はどうしてみるのか、本当のところはまだ解明されていません。夢の内容についてはいろいろな解釈があり、多くの夢解釈の本が出版されています。夢にでてくることはそのひとの中にあるものであるとRukaは考えています。夢とはもう一人の自分が自分と対話することと同じです。夢はときどき、人にメッセージを与えてくれます。なかなか忘れられない夢や繰り返し見る夢は、自分からのメッセージだととらえてください。Rukaが繰り返し見る夢をひとつご紹介したいと思います。自分の大好きな人が、私の肩を抱きながら、「もう、だいじょうぶだよ。」と肩を叩いてくれるのです。わたしは涙があふれて、そのひとにもたれかかるという夢です。誰かになにかを許してもらったり、誰かに頑張ってるねと褒めてほしいのでしょう。自分で自分をなだめている自己防衛本能がそんな夢をみせているのだと思います。その夢をみたあとは、なぜか元気になります。どんな状況でも、これでいいのだと自分を肯定する気持ちになれます。他の誰かに褒められたり認められても、はずかしいきもちや謙遜な気持ちが先に立って素直に喜べないものです。自分が自分自身を認めることでその事実を受け入れられるということが、夢の役割です。夢をみるメカニズムはわからないけれども、夢は自分が自分と会話する手段のひとつであるとRukaは考えています

あなたは夢を見ますか?Rukaはほとんど毎日夢を見ています。夢はどうしてみるのか、本当のところはまだ解明されていません。夢の内容についてはいろいろな解釈があり、多くの夢解釈の本が出版されています。夢にでてくることはそのひとの中にあるものであるとRukaは考えています。夢とはもう一人の自分が自分と対話することと同じです。夢はときどき、人にメッセージを与えてくれます。なかなか忘れられない夢や繰り返し見る夢は、自分からのメッセージだととらえてください。Rukaが繰り返し見る夢をひとつご紹介したいと思います。自分の大好きな人が、私の肩を抱きながら、「もう、だいじょうぶだよ。」と肩を叩いてくれるのです。わたしは涙があふれて、そのひとにもたれかかるという夢です。誰かになにかを許してもらったり、誰かに頑張ってるねと褒めてほしいのでしょう。自分で自分をなだめている自己防衛本能がそんな夢をみせているのだと思います。その夢をみたあとは、なぜか元気になります。どんな状況でも、これでいいのだと自分を肯定する気持ちになれます。他の誰かに褒められたり認められても、はずかしいきもちや謙遜な気持ちが先に立って素直に喜べないものです。自分が自分自身を認めることでその事実を受け入れられるということが、夢の役割です。夢をみるメカニズムはわからないけれども、夢は自分が自分と会話する手段のひとつであるとRukaは考えています

大地にはエネルギーがあります。土の中にはたくさんの微生物が生きています。人はみな土の上に立ち、植物の多くは土の中で育ちます。子どもたちは土で遊ぶことを好みます。大人になると、ひとはガーデニングを楽しみます。土を触るのは大地のエネルギーを摂取するいちばんいい方法です。土の中に手を入れてみてください。少し湿ってひんやりとした土には静的エネルギーがあります。その静的エネルギーを感じることで、人は安心感を得ることができます。「土に生まれ土に還る」という自然の摂理が現代でも生きていることを実感できるでしょう。高層ビルや高層マンションを好まれる方もいらっしゃいますが、精神衛生の面ではなるべく地面に近い場所にお住まいになることをお勧めします。また、そういった高層にお住まいの方は、地方への旅行やガーデニングで土に触れる機会を得ることをお勧めします。

産地によっても動的エネルギーと静的エネルギーの比率が変わります。オーストラリアなどの肥沃な大地と日照に恵まれた場所からは、動的エネルギーが、英国などの静かな環境の土地からは静的エネルギーが得られます。Rukaはそのハーブの産地や人工的に室内で機械で乾燥されたものなのか、太陽の光を浴びて乾燥したものなのかが区別がつきます。Rukaはハーブそのものの特性ではなく、そのハーブから得られるエネルギーを同定して、その時の体調によって摂取するハーブを決めています。一般の人であれば、その製品の産地やどうやって乾燥されたものなのか、わからないこともあると思います。自分の感覚に頼り、自分に合うものを探すのもひとつの方法です。自分の感覚ではよくわからないという人は、能書きに書かれていることを参考にしてもいいでしょう。もしくは、お店の人に調べてもらうこともできます。ハーブに対して独自のこだわりをお持ちのお店では、その点についてちゃんと調べて入荷しています。ハーブは手元に届くまでに幾人もの手を渡ってあなたの元に届きます。ハーブを摂取する時、そのハーブにかかわった人たちのエネルギーも同時に得ることになるのです。

ハーブを生で摂取することをRukaは勧めていません。庭で今摘んだばかりのハーブは、リフレッシュなどの元気なときにさらに元気になりたいときは効果的かもしれませんが、そもそも、民間療法でハーブを取り入れたいと思うときは、体も心も弱っているときが多いのです。生のハーブはエネルギーが乾燥されたものと比べると、動的エネルギーが大きすぎてしまうことが心配されます。乾燥したハーブは、乾燥している分だけ、使用する量が生と比べて多くなりますが、エネルギーそのものはいったん人の手によって加工されているものだけに、静的エネルギーの割合が大きいのです。体調のすぐれない時に取り入れるハーブは、乾燥したものをお勧めします。

植物にはエネルギーがあります。見ているだけでそのエネルギーは人の体の中に取り込まれますが、もっとも効率的なのは、ハーブの製品を活用することです。ハーブには科学的に解明された化学物質が含まれています。リラックスする成分、痛みを緩和する成分など、ハーブを購入する時に効能書きがあり、それを参考に購入される方も多いのではないかと思います。成分は微量でも化学物質ですから、自分の中にはない何かを取り入れることになります。中には良いと思われる成分でも自分に合わない成分もあるかもしれません。人の体には免疫という機構があり、自分にとって異物となるものを排除する働きがあります。その働きを活性化することで病気を治していく療法もあります。しかし、その療法が合うか合わないかもその人の体質によって異なってきます。ハーブの飲用などの民間療法では、「これを飲んだら元気が出る」というプラシーボ効果は思いのほか効力があります。「病は気から」ということわざを思い出してください。軽いメンタル的な憂鬱感などは、プラシーボ効果だけで、実際に気分がよくなることがあります。しかし、ハーブの飲用にも注意があります。化学物質を含んでいるため、禁忌(飲んではいけない場合)は守る必要があります。

緑が青々として花の咲き乱れる季節がきました。Rukaの家には小さな庭があります。いろいろな植物をみていると教えられることがたくさんあります。もう枯れ切っていると思った植物から新芽がでてきたり、違う土地で貰ってきた植物だから根付かないとおもっていた木が青々としてきたり。「1年しか持たないけど」と言われた植物が3年も楽しませてくれたり。同じ土壌の庭でも、家によって育つものと育たないものがあります。手をかけるかけないの違いももちろんありますが、人と植物の相性というものがあるのだなと感じています。そして、人生の勢いのある時期には、日陰にある植物でもよく育ち、そうでないときはどんなにいい環境でもよく育つことができません。毎年、同じ植物を育ててみるとそのことがよくわかります。相談者のリーディングを行っていると、その人が植物を育てているかどうかにかかわらず、庭の風景が浮かんでくることがあります。その庭は、実物の庭ではなく、その人の置かれている状況が庭として表現されているようです。仮想の庭の植物を育てていくことで、その人の運気が変わっていきます。どんな庭が心地よいと感じ、どんな庭にしていきたいのかはひとそれぞれだと思います。人から見てどんな庭が美しいということにとらわれるのではなく、自分が美しいと思う庭を造りあげることが大切なのだと思います。以前、カウンセリングさせていただいた方が1年後にお見えになりました。見えてくる庭はまったく別の庭でした。その庭がその人らしく変化していることはRukaにとってとっても喜ばしいことでした。

スピリチュアリティという言葉の使用方法は、時代や地域によって定義が異なるといわれています。spiritualityという英語の語源はラテン語に由来しており、その意味するところは「息」または「風」だといいます。中世になって登場したこの言葉は、当時、宗教者だけの使用に限られていました。現代では、トランスパーソナル心理学に造詣の深いアメリカの哲学者ドナルド・ロスバーグが、宗教の組織や制度とを切り離したスピリチュアリティの定義を新たにし、宗教的なスピリチュアリティと宗教に依存しない霊的アプローチとしてのスピリチュアリティを区別しました。現代社会の特徴は個に向かうエネルギーが増し、「自分探し」「本当の自分」が重要テーマとなり、個人レベルでそれらが行われるようになっています。Shell Beansでは「スピリチュアリティとは生に意味や目的を求める魂の叫びである」と定義しています。Shell Beansは、まだ開かれていない貝の口の隙間からわずかに垣間見れる魂の叫びをリーディングによりひとつひとつ丁寧に取り出すことで、それぞれが、自分の魂の叫びに気づくこと、カウンセリングにより自分の魂が欲している生の意味や目的に向かって進める原動力を得るための援助を行うことを目標にしています。
参考文献:安藤治・湯浅泰男編 (2007)スピリチュアリティの心理学 せせらぎ出版




